進化とはなにか(今西錦司)1976年6月出版

進化とは 淘汰にあらず
環境と 相互作用で 築く”棲み分け”

 

<要点 / この書籍から得ること>

・ダーウィン進化論とはまったく異なる「今西進化論」の説明

・人類の進化史の振り返り

・全体論的(ホーリズム)な自然観

 

<概要 / 本書の内容をざっくりと>

「すみわけ」の概念を発見し、サル学(個体識別によりサル山の社会を分析)の創設や自然学を提唱するなど稀代の生物学者が、生物(人類)の「進化」について語った6つのエッセイ集です。

(下に続く↓)
 

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<書評 / あらすじ&レビュー>

まず”種社会”とは「同種の個体が集まった全体を一つの存在として把握し、個体よりも一段上のレベルの構造的機能的ユニット」とし、”種社会”とそれを構成する”個体”は「二にして一のもの」と表現しています。

種社会に備わる”自己完結性”と、環境への”主体的”な対応(体のつくりかえ)によって生物は進化するのであり、ダーウィン進化論(ネオダーウィニズム)の二本柱である”個体の突然変異”と”自然淘汰”は進化に寄与していないことを具体事例も交えて論じています。

分子生物学でも、遺伝のメカニズムを分子レベルで解明したものの、要するに種の規格を逸脱しないよう仕組まれているのが分子レベルでも分かったというだけで、突然変異により新種ができる根拠にはなっていないと指摘しています。
例えばコウモリの手は、「自然淘汰によって翼になってゆくのではなく、どの個体の手も同じように翼に変わってゆく」すなわち「どの個体が死にどの個体が生きのびても、手が翼に変わることが種全体で進んでいく」のです。

ダーウィンが生物が進化(変化)する要因として、宗教の教義から理論的に逃れるために「(神の)見えざる手」に相当するものを「(環境による)自然淘汰」としましたが、著者によれば「見えざる手」は「(生物自身による)自己完結性」となります。

多様性が増していくのは、「種社会がその占める地域を拡大し、気候など環境条件の異なるところを含むようになると、この大きくなった種社会に属するすべての個体を元の枠組みに入れて統一することができなくなり、種社会そのものが自ら分裂する」という”分化”(広い意味での”棲み分け”)だと考えます。

 

<抜粋 / ハイライトフレーズ3選>

・同種の個体の損失ということが計算に入れてあって、どうせ運不運がつきまとうものなら、どの個体が犠牲になってもその結果が変わらないように、同種のもの個体はどれもこれもがよく似たものにできあがっているかのようである。

・進化を、突然変異と自然淘汰というありもしないことをまことしやかに考える実験遺伝学にまかせることは、人類の将来をコンピューターにまかせるのと同じくらい浅はかなことである。

・変わるべきときがきたら、種社会も種の個体も、またその個体のなかにしまいこまれた遺伝物質も、みな時を同じうして変わるのでなければシステムが壊れてしまう。

 

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<参照したいサイト>

Sony CSL 桜田 一洋氏の研究「新たな生命の総合をめざして」
図解『今西進化論』@インターネットと農業
今西錦司の世界
特別講義「南方熊楠から見た、今西錦司『生物の世界』」の案内

 

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