飄々と 世界を視る眼 すり合わせ
”好き”を貫く 手業師ふたり
<要点/この書籍から得ること>
・宮崎駿氏の描く理想の町のイメージ絵
・『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』の製作に際する思考の変遷や経緯
・主に現代日本の風潮に批判的で、かつ子どもへ眼差しを向けるような優しさで見つめ、その上で「生き続けるしかない」という諦観気味な提言
<概要 / 本書の内容をざっくりと>
それぞれ別の雑誌に収録された3つの対談(1997、1998、2001年)をまとめ、宮崎氏による描き下ろしのイラスト(主に空想の理想的な街や保育園について。20ページ)と養老氏による「宮崎アニメ私論」(約20ページ)を加えた本です。
話はとりとめもなく方々に飛び展開が追いにくいですが、各所に懐かしさと反省の混じるような気づきを得られる言い回しが多数出てきます。
(下に続く↓)
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<書評 / あらすじ&レビュー>
『もののけ姫』の製作についてその背景を語った対談1と2では、自然との向き合わず人間ばかりに世界を凝視する視線が向いている「人間嫌い(人類嫌い)な時代」への警鐘となっています。
主に養老氏が、ライフワークとしている昆虫採集の経験から、蝶は非常にデリケートに周囲の環境を把握し決まったルートを飛ぶ「蝶道」などを例に、自然のディテールさについて述べ、人間の感性の衰えを嘆き、それに応えて宮崎氏が、日本においては室町期あたりに人間と自然との関係性が激変したことを指摘します。(歴史学者網野善彦氏を引用)
両者とも都会の論理によって生命として弱くなった現代人を眺めつつ、下記のように諦観とも楽観とも思える台詞で複雑性の世の中を生きることについて結論しています。
「ミソもクソも一緒に生きようという考えしか、これからの世界には対応のしようがない。」(宮崎)
「どうしてどうして、「お先真っ暗」でいいじゃないですか。だからこの世は面白いんですよ。」(養老)
対談3では『千と千尋の神隠し』を呼び水に”懐かしさ”の分析や言葉の重みについて触れ、養老氏がプラトンの観念論を引き合いにアニメーションのリアリズムを述べたところで、最後に宮崎氏の乱世に生まれた子どもへの想いや、電車のシーンが特に意義深い想いを込めた部分であることが明かされます。
<抜粋 / ハイライトフレーズ3選>
・(宮崎)悪い人間や殺しても惜しくないような輩をいっぱい出して、そいつらをやっつけてせいせいするような映画だけは、絶対に作っちゃいけないと思ったわけです。
・(宮崎)地球の地殻変動や自然災害というのは、人間の営みとまったく無関係じゃないとどこかで思っているんですね。人間社会の行きづまりなんかとちゃんとつながっているんじゃないかって気がしてしかたがない。
・(養老)当たり前だが、一般に芸術では、表現したいことが理屈ではない。しかも芸術の方法はかならずしも言葉ではない。その芸や術を、言葉にして説明されなければ、気が収まらないというのは、典型的な現代病、脳化という病気である。西欧文化が以前からこの病気にかかっていることは、はっきりしている。
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