素粒子と 初期仏教の 研究者
2人が手繰る 世界の姿
<要点 / この書籍から得ること>
・「自由意志」や「意識」、「生きる意味」などは存在するのか?という問いに対する仏教と科学からのそれぞれの見解
・仏教(厳密な意味で、「釈迦の教え」)の世界に対する認識と、17世紀以降の科学的態度は同じであり、それゆえに意義のある対話
・著者2人の専門の概説
大栗氏:素粒子物理学の歴史と最先端の超弦理論の紹介
佐々木氏:初期仏教から部派が分裂し大乗仏教が生じた経緯とその分析手法
<概要 / 本書の内容をざっくりと>
名古屋の中日文化センター開設50周年記念講で行われた、仏教学者(理系出身、輪廻思想は信じていない)と素粒子物理学者のトークセッションを書籍化したものです。
(下に続く↓)
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<書評 / あらすじ&レビュー>
まず前提として、仏教と科学の専門家同士が対話をすること自体の意義について述べます。
仏教の第一目的は、「苦しみから逃れるため、自力で偏見のフィルターを取り去り世界を正しく見ること」であり、科学との接点はここにあります。科学は仮説/理論を立てたものを実験/観察によって錯覚や思い込みを引き剥がし、この世の真の姿を明らかにするアプローチであるので、科学者は「釈迦が奨励した生き方をしている」ことになります。
そして「意識」や「自由意志」など、世界観や人間の認識能力に展開し、双方の専門分野の基礎情報を解説しつつそれぞれの見解から考察し合う対談がメインとなります。
例えば「自由意志」の存在については、「縁起」という複雑な現象を理解してる超越者(=神、もしくは科学の普遍法則)があれば決定論であり自由意志はありませんが、「縁起」が人知を超えたものならば人間にとっては決定論は成立しないので自由意志は働いています。つまり、超越者の存在を想定するかどうかで自由意志の有無が変わる、すなわち「スケールの違いによって、どちらにも見える」のです。
終盤は対話ではなく、それぞれの専門研究について一般向けの講義となっています。
大栗氏は、素粒子研究の発展の歴史や超弦理論、ブラックホールでどのような現象が考えられているかなどを噛み砕いて説明しています。
一方佐々木氏は、仏教の歴史の中でなぜこれほどまでに多様な宗派に分裂し、釈迦の教えとは正反対にも思える大乗仏教が生まれたのか、アショーカ王碑文など”歴史書ではない資料”から推論を構築し、(恣意的なために信頼はおけない)歴史書と付き合わせて確認・考察するという科学に近い研究手法を披露しています。
<抜粋/ハイライトフレーズ3選>
・科学者の側にも世界に対する「思い込み」はあり、そのフィルターを外すためには哲学的な考え方を知ることも大切です。
・科学の世界観は正しいかどうかが問題ですが、宗教のつくる世界観は、客観的真実であるかどうかよりも、自分の精神の支えになるかどうかが優先されるんです。
・意識という主体を想定し、それが世界を観察し判断しているという世界モデルをつくった。これが意識の本性なのだと、思います。
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