スピノザの世界-神あるいは自然(上野修)2005年4月出版

永遠の 神への愛を 解き明かす
自動証明 機械に委ね

 

<要点 / この書籍から得ること>

・「神は自然である」を唱えた、17世紀を代表する哲学者であるスピノザの人となり

・スピノザの主著『エチカ』や『知性改善論』の入門的な解説

・ユークリッドの『幾何学』にならい、少数の定義と公理から次々と定理を導き出していく手法や「神即自然」という画期的な思想から、現代の最先端の自然科学や、1人の人間として強く生きる心構え(=倫理)などにつながっていくスリリングな展開

 

<概要 / 本書の内容をざっくりと>

哲学・哲学史の学者である著者が、「スピノザの見た世界がどんなものか、その不思議な光景を理解の内側から眺める」ことを課題として、時々スピノザと対話するかのように主に『エチカ』を読み解いています。

(下に続く↓)
 

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<書評 / あらすじ&レビュー>

始めに「企て」と称し、スピノザが”最高善”を追い求める”決心”をした経緯を、『知性改善論』から紐解きます。

次に、「世界そのものが真理でできており、われわれは真理でできているその世界の一部分」という世界観を設定しておき、本書中盤までに”知性”についての考察を幾何学的に進めます。
そうして「すべての観念がその対象と一致するような、絶対かつ唯一の真理空間」の別名が、のちにスピノザ自ら明らかにしていく「神」そのものであることを導きだします。

さらに、「自由意志は存在しない」ことを証明によって理解させ、自由意志の否定が「実生活のためにいかに有用であるか」を強調しているのがスピノザの面白い点です。
まず、誰もが自分がかわいく、自分を肯定できれば幸福である、そこをごまかすとこから道徳の嘘が始まるとスピノザは考えました。
そして”観念”とその”対象”の並行論から、精神の決意と身体の決定とは同じパフォーマンスの異なる表現であるとし、身体を蔑視する従来の教会の教えにある、やみくもな精神主義を批判します。

後半の「倫理」の章では、「一切が”自然”(=神)の本性の必然性から出てくるので、不愉快なことも恨んだり気に病むこともなく、他人のためにでなく自分の大いなる欲望のために、憎しみ・怒り・ねたみ・嘲笑・高慢といった有害な感情を遠ざけることに努める」、そういう「強さ」の倫理であることが説かれます。

 

<抜粋 / ハイライトフレーズ3選>

・幾何学的に書くこと、それは主張でもなければ説得でもない。知性が自分のいる空間を次第に発見していく思考の実験なのである。

・『エチカ』は人間の感情と行動を説明しながら、その説明そのものにゆるしの効果があることを実地に教える、そういう倫理書なのである。というわけで、「神あるいは自然」でもって事物や感情が説明できればできるほど、悲しみはそれだけ除去され人生は強く、愉しくなってくる。この喜びが「神への愛」なのだよとスピノザは言う(第5部定理15)。

・ニーチェは「神の死」を引き受けようとして孤独だったのに対し、スピノザは彼の神とともにいた。だれの手も煩わせずに、いわば勝手に救われていたのである。

 

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<参照したいサイト>

スピノザ『エチカ』を解読する
エチカ全文
スピノザと複雑系から、「いのち」を考える

 

<主な参考文献>

・スピノザ-エチカ-倫理学(畠中尚志・訳)1951年

 

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