生と死の 粘菌に見る 不可思議も
神なる森を 切りゆく日本
<要点 / この本から得ること>
・書簡集とその解題(現代語での解説)により紐解かれる、世界的天才/奇才南方熊楠の思想の原点
・粘菌の生態の不思議さや分類の難儀さが紹介され、生物学の世界に混乱をもたらした様子と、その渦中での熊楠の生命の神秘に迫る独特の東洋思想的解釈
・エコロジー運動の先駆けと言われる熊楠のその熱心な神社合祀反対運動の理由が、本人の書簡を直接載せているため当時の肉声が伝わって来るかのように感じられる
<概要 / 本書の内容をざっくりと>
入門書としてはもっと適当な本がありますが、南方熊楠を深く理解する代表的なシリーズの最終巻です。
前半は粘菌のビジュアル付き解説と著者による解題、中盤以降は熊楠本人の書簡(粘菌についての観察・考察、神社合祀反対の意見)で構成されています。
(下に続く↓)
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<書評 / あらすじ&レビュー>
熊楠は新種・変種の発見というのを好まず、粘菌は古典的な分類の枠など超越していることを見抜いていますが、
「粘菌の原形体は固形体をとりこめて食い候。このこと原始動物にありて原始植物になきことなれば、この一事また粘菌が全くの動物たる証に候」
とあるように粘菌の分類において菌類でも植物でもないことを強調するため、あえて「動物である」ことを主張しています。
粘菌の生死の概念さえ超越したライフサイクルから、密教的な(マンダラとも言える)生命観を見出した彼のエコロジー思想は、自然生態系への配慮(生態のエコロジー)程度にとどまるのではなく、人間の主体性の生存条件(精神のエコロジー)、人間の社会生活の条件(社会のエコロジー)を一体に巻き込みながら展開するものです。
彼のその思想的背景を読み取りながら、明治末期の神社合祀に激しく抵抗を表明した動機を、本書全体を通して整理しています。
<抜粋 / ハイライトフレーズ3選>
・粘菌はライフサイクルの一時期に、菌類に類似の生命形態をとりながら、分解者である菌類まで食べてしまう。そのため分解のサイクルが遅れ、森の生態系は一層複雑なものになってしまう。粘菌は森の中で、きわめて特殊な位置を楽しんでいるかのようだ。
・神々が森に住んでいるのではなく、森そのものが神だったのである。森は原神道にとっては、神聖なるカオスとして、神が生まれるトポスだった。森は日本人にとっての、もっとも重要な「公界」だったわけだ。
・神社合祀は、第一に敬神思想を薄うし、第二、民の和融を妨げ、第三、地方の凋落を来たし、第四、人情風俗を害し、第五、愛郷心と愛国心を減し、第六、治安・民利を損じ、第七、史蹟、古伝を亡ぼし、第八、学術上貴重の天然記念物を滅却す
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<参照したいサイト>
『映像歳時記 鳥居をくぐり抜けて風』
南方熊楠は”人間版”インターネット?@インターネットと農業
≪…(生態のエコロジー)… (精神のエコロジー)… (社会のエコロジー)…≫的に、【数そのモノ】の[言語(言葉)]の[構造]を捉えて観る。
≪…神々が森に住んでいるのではなく、森そのものが神だったのである。森は原神道にとっては、神聖なるカオスとして、神が生まれるトポス…≫から、≪…神…≫を【数そのモノ】に[同定]し、≪…森…≫を≪…(生態のエコロジー)… (精神のエコロジー)… (社会のエコロジー)…≫の[作用]の[場]に仕立てて、【数そのモノ】を観る。
【数そのモノ】の[作用]の[場]は、『自然比矩形』に[同定]でき[カオス]と[コスモス]を[複合体]とする[数物]的な[トポス]の[数学概念]を掴み・掴まされている。
そうすると、[次元の数](トポスの内在)は、[カオスのヒエラルキー構造]を[帯同]する[1]に仕立て・仕立てられている。
ライプニッツの「理性に基づく自然と恩寵の原理」の『《モナド》』は、『[作用]の[場]』と観え、ほとんどあらゆる[数学概念]を≪…(マンダラ)…≫化して捉え・捉えさせてくれる。
数百年前の《モナド》に込められた《原理》に≪…《トポス》…≫をも加えて[飛翔]させ続けていきたい。
自然数は、[絵本]「もろはのつるぎ」で・・・