進化に向かう日本農業(小松光一)1997年8月出版

そもそもの 構造とらえ
農業を ”やりたいやつ”の 多層なるべし

 

<要点 / この書籍から得ること>

・「農業問題」と「農家自身の問題」は別モノ、という議論の出発点

・多くの地域や活動する人々を紹介し、多層に入り乱れた構造こそが進化した日本の農業の姿であるという認識

・古代からあるものの未来社会へ希望を持てるような、アジアに残る思想・習慣・概念(コモンズ、コスモロジー、コーポラティズムなど)の具体的解説から、それらの日本農業への導入などの提案

 

<概要 / 本書の内容をざっくりと>

長年全国・海外の農村を実地研究してきた著者の小気味良いややべらんめえ口調そのままに、苦境と言われて久しい日本の農業について、これからどうなっていくか、近代思想(啓蒙主義、ポストモダン、コスモロジーなど)の変遷をベースに現場での事例を紹介しながら考察・提案しています。
出版から20年ほど経って読んでも内容に古さを感じさせないことから、著者の先見性を伺い知る他に、日本農業を取り巻く状況が未だ構造的には変わっていないのだと思わせられます。

(下に続く↓)
 

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<書評 / あらすじ&レビュー>

序盤に、農業問題と農民問題は違う領域なのに、なぜか農業を語る人は皆、農水省であるかのように食料自給率や国土保全という国家的なことばかり考えてしまうという指摘をし、日本農業を語る前提として、エコノミーの語源である「家政(オイコス)」を起点にした視点を与えられます。

中盤では、海外の農村の事例を日本の状況と並行的に見つつ、コモンズ(共同の相互補助システム)、コスモロジー(自然・人間の共生的宇宙)について具体的に考察しています。

終盤でも、日本の各地域の行政や個人の活動を(著者自身が現場の人と飲み会で語り合い)紹介しながら、これからの日本の農業の「進化」を予見しています。
その進化の例として、コーポラティズム(住民参加方式)型の流通・共同体の取り組みや、《世襲制の崩壊→世代交代のシステム化→マイスター制→新規参入受け入れの制度的保障》という一連の構造変化などがあります。

 

<抜粋 / ハイライトフレーズ3選>

・農業者と農家は無関係。農業者というのは、自分なりに農業の展望をもち、計画性をもち、農業に意欲をもっている人を言う。しかし農家というのは、ようするに農地がくっついてしまっている家でしかない。たまたま農地がくっついているからといって農民になる必要もないし、憲法二十二条では職業選択の自由がちゃんと謳われている。

・もともと社会は自生の共空間があった。それには市場原理とは違うコミュニケーションのルールがあった。「互酬」「交換」「分配」「自給」といったルールだった。従来の社会学や経済学は、なぜかこの自生の社会空間を無視または排除してきた。

・市場原理でうまく経済社会が調和がとれれば「経済学」などはいらない。ところが、市場原理ではうまくいかない。そこで、なぜそうなるのか、どうしたらいいのか、と考えるところから経済学は始まった、というのが宇沢弘文氏の言い分だ。ところが今日びの経済学者たちが、これからの農業は市場原理だなどとぬかしくさる。そういう言い分では結局「経済学」っていらないんじゃないの、というとこになってしまうのに。

 

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<参照したいサイト>

北タイ、ラフ族ローチョ村に水道を引き、植林活動を発展させたい
 (→※著者の呼びかけたクラウドファンディング。募集終了)

 

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