茶色の朝(フランク・パブロフ)1998年著

平穏を 保つためだと 流されて
気づく頃には 監視の恐怖

 

<要点 / この本から得ること>

・違和感を持ったとしても、その感覚を封印しようとする心理の傾向があることの認識

・権威に対して自分の考えを声に出すこともなく大勢に流されることの危険性

・世間の状況や他人の様子、日常の忙しさのせいにして、思考停止していることは愚かであるという自覚

 

<概要 / 本書の内容をざっくりと>

1990年代の西ヨーロッパに漂う極右の流れが強く感じられるようになってきた中、フランス大統領選挙で極右の人物が決選投票まで残ったことをきっかけに執筆された。
ファシズムなど排他的な政治になっていく懸念が現実にある国で読まれることが推奨される。
pdfにするとたったの4枚に収まるほどの短い寓話だが、徐々に異常な政治状況になっていく中での無抵抗な一般市民の心理描写が巧みに表現されている。

(下に続く↓)
 

<スポンサードリンク>



 

<書評 / あらすじ&レビュー>

主人公の男性と友人のシャルリーの会話を主軸に、ペットの犬・猫が茶色以外のものは処分される法令から始まり、違和感を持ちつつもその場の雰囲気に流されやり過ごし、すぐに忘れるうちに、急激にその法令がエスカレートしていく恐しい様子が描かれています。

「驚いたものだが、ただそれだけだった」
「法令に従う他はない」
「その時は胸が痛んだが、早く忘れてしまう」
「彼は正しかったのだろう」
「感傷的になり過ぎたところで何か大したことが起きるわけではないし」
「そんな風に心配する私がきっと間違っているのだろう」

などなど、理不尽なはずの法令に抵抗することなく受け入れていく主人公の、外に出さない(出せない)自己弁護の心の声が漏れ聞こえ、読者は共感とともにその無自覚であることの愚かさ・恐ろしさに気づくようになっています。

 

<抜粋 / ハイライトフレーズ3選>

・その時は胸が痛んだが、人というものはあっさりと早く忘れてしまうものだ。

・素晴らしいひと時を過ごせたと思う。安全だという感じがしたからだ。それはあたかも、ただ単に街中の常識に従ってやってさえいれば、安心していられるし、暮らしもすっきり行くというかの如くだった。茶色の安全というのも悪くはないもんだ。

・もっと抵抗すべきだったのだ。だがどうやって?連中の動きは実に迅速だったし、私には仕事もあれば日々の暮らしの悩みもある。他の連中だって、少しばかりの静かな暮らしが欲しくて手を拱いていたんじゃないのか?

 

<スポンサードリンク>


 

<参照したいサイト>

全文掲載
「“茶色の朝”を迎えたくなければ、思考停止をやめることです」哲学者・高橋哲哉さん

 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

関連記事

  • コメント (1)

  • トラックバックは利用できません。

    • heart
    • 2021年 2月25日

    極右批判に使われているが、極右と極左が同じ勢力に破壊されておりどちらも量子コンピュータやバイオメトリックデータの推進をしていた。それがまさに「ナチス」勢力の遠隔人体実験兵器なんだが・・

アーカイブ

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。