南方熊楠-地球志向の比較学(鶴見和子)

萃点に ”まわりあわせ”て
粘菌と 民俗学を 結ぶ曼荼羅

 

<この本から得られること>

・南方熊楠の思想活動を4つのテーマに大別した包括的な把握
一:大乗仏教を根幹とする、ヨーロッパとアジアとの学問の出会いと対決と、統合への試み
二:社会科学の中で特に民俗学と、自然科学の中で特に粘菌研究との関係について
三:比較の学としての生物学と民俗学の結合
四:生態学的立場からの公害反対

・熊楠の生涯の概要と、彼の仕事の成果(主に民俗学)について著者独自の俯瞰的な視点

・「南方曼荼羅」という新概念の発見や、その世界観に基づく熊楠のローカルかつグローバル(地域に深く根を下ろし世界に高く飛翔する)な行動原則へつながる道筋

 

<こんな本>

社会学が専門の著者自身の関心と合致し、熊楠の思想を”活用”するために、彼の知的活動を「比較学」と見立て網羅的に分析しています。
”知の巨人”でありながら奇人としての側面が目立ち、「博覧強記であるが理がない」(昭和の有力な知識人・桑原武夫)と考えられていた熊楠に、現代にも先んじた理論体系を見出し南方熊楠研究の転換点となった本です。

 

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熊楠が粘菌に魅せられた理由を、「①粘菌が植物と動物の境界領域にあり、②粘菌を調べることで生命の原初形態・遺伝・生死の現象などに手がかりがつかめる」と考えた2点に注目し、熊楠の粘菌研究を《1.それが面白くてたまらない 2.粘菌が植物と動物の境界領域であることに注目 3.粘菌は生命の原初形態であることに着目 4.粘菌はそれが発生し生活しつつある環境=コンテキストの中で見出されなければならない》の4点の原則を見出しました。
そしてそれがそのまま民俗学での研究態度(原則)と一致することを見抜きます。

神社合祀反対運動での「自然の破壊がおこるとき、自分の棲んでいるその場所でただちにそれをくいとめる働きをせよ」という行動原則を、彼の生涯のエピソードや主に土宜法龍との書簡交流に見られる地球規模的な視野、大乗仏教を科学的に読み替えた世界観(=南方曼荼羅)から解説しています。

 

<ハイライトフレーズ3選>

・気の遠くなるように種々雑多なことがらの間に、南方がはりめぐらしている網の目があり、それらの網の目を、遠くから近くへとたぐらせる一つの中心ーー南方のことばでいえば、「萃点(すいてん)」ーーがある。
→(別の章へ)神社合祀反対の活動は、まさに「諸事理の萃点ゆえ、それをとるといろいろの理を見出すに易くてはやい」とかれが述べたその「萃点」にあたる。南方の植物学、生物学への専念と、民俗学、宗教学への関心と、農民漁民職人等かれが日頃したしくつきあった人々への共感とが、この一点に集中する事件だったからである。

・南方の世界にあっては、遊びが職業を支えたのである。端的にいえば、粘菌研究がかれの民俗学を支えたのである。

・わたしは孫文との交わりの中に、南方の痛烈な日本人論を見る。他人が尾羽打ち枯らしている時は無視ないしは侮蔑する。しかし、同一人物が権力を握ると昔からの旧知であったごとく振る舞い、よってたかってその恩恵にあずかろうとする。南方熊楠は実にその反対の交わり方をしたのである。

 

<参考サイト>
ガイダンス・コラム記事一覧@二十四節気
地球志向の比較学:鶴見和子の南方熊楠論(『日本語と日本文化』より)
南方熊楠は”人間版”インターネット?@インターネットと農業

 

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